2018年12月29日土曜日

今度はUTMB

今度はポイント十分に溜まったので、
UTMBプレエントリーしました。
しかし50€必要というのはちょっと痛い。


2018年12月6日木曜日

最後に健忘録

今回のレースで気づいたことをランダムに書き留めてみました。

健忘録1:食事と体重の増減
今回はフルマラソンと違い体重を絞り込むことは意味がなく帰って少し増やしたほうがいいと思い、体重は2-3kg増の60-61kg、
体脂肪も10%-12%の表示が出るくらいまで上げていきました。
現地で体重計に乗る機会がなかったので、わかりませんが、帰ってきた日は58kg、むくみが少し取れた今日は、
たつのこで少し走ってきてから56.6kg、6.7%を指していました。
実際、食いまくっていたので驚きです。
イタリヤの食事は量は多いですね。
お昼にピザ屋にいって注文したら写真のでかいサイズ、日本でのLサイズが出てきました。
周りもこれを一人一枚、女性も高齢の方も食べてました。

レースでの提供食ですが、基本どのエイドでも同じものが並んでいました。
ハム、チーズ、サラミ、パスタ、パン、クッキー類、ロールケーキと毎度同じでした。
パスタはペンネが基本で、トマトソース、スープ、オイルのみのものです。
パルメザンチーズをかけるかと聞かれたので頼んだら、スプーンに山盛り3杯かけてくれました。それが標準なんですかね。
自前食ですが予め話を聞いていたのでパスタにかけるソースを日本から持っていきました。
あとカップラーメンやお湯で戻せるご飯シリーズ、おせんべい類なども。
しかし同じものを食い続けれる性格でしたので持っていった食事は結構余りました。
でも約50km毎にあるライフベースはメニューの種類が増えるし、途中の山小屋は自腹で別のものを購入できたりしました。
カプチーノやケーキが注文できたりしました。
その他、大体の箇所で、ワインとビールはありました。少し仮眠する前に一杯飲んだりもしましたね。
一日何食食べたのだろうという言うくらい食べました。エイド毎に腹いっぱい、途中でお腹すくかもということでお菓子類とパンにハム・チーズを挟んで袋にいれて持っていきました。
食べ続けていたという感じですね。
う◯こが毎日大量にでる。チーズの影響でしょうか、おならが大量にでて止まらなかったですね。

ついでにトイレ事情ですが、鍵のかけられないトイレが多く男女兼用にもなってました。
使用中にも開けられたりしました。ただしい使い方はどうすればいいのか女性にも聞きましたが、
足で開けられないように押さえておくと言ってましたね。(^o^)


健忘録2:睡魔について
出るまでは、奥久慈毎日6日分と思っていましたが、
想像を遥かに超える厳しさ、50km行くのに20-22時間かかるところが多い。
走れるところがほとんど無く歩きがメイン。
早歩きのハイキングみたいでした。
ある程度は睡眠と休憩も取れるのかなと思っていましたが、平均2時間程度の睡眠で行動してました。
明るいうちはいいのですが暗くなると睡魔が襲ってくる。
眠いと体が動かなくなり進むスピードも遅くなる。
コーダ小屋まで行く途中ものすごい睡魔に襲われ途中座り込んでうとうとするも寒いから仕方なく歩く。
途中に小屋があり、扉もあって中も牛のふんまみれになっていない所を発見!
その小屋に入り、そのまま一時間の仮眠しました。
起きたら、誰かも寝てたのかエマージェンシーシートが丸まって落ちてました。
おかげでなんとかコーダ小屋に到着、その山小屋でも2時間の仮眠を申請。
山小屋のベットは暖かくて極楽でした。
その後も睡魔との戦い、歌ったり、悪態ついたり、トレランあるあるを作ったりなんとか睡魔に勝つ方法もなんとか見つけていきました。


健忘録3:マナーとか気質とか

イタリア北部の田舎町のことなのかはよくわかりませんが、
日本の今のマナーと違う所がありました。
日本人は気の使い方が細かすぎるのでしょうか。

まず、ミラノに着いて、バス待ちしていたら隣にいたおばさんがすぐ横でタバコを吸い始める。日本では少し遠ざかりますよね。
高速バスに乗っていたら、携帯の着信音がなりそのまま電話に出て大きな声で話し始める。喋っても問題ないようだ。

レースのときもスタートまで一時間待ってからスタート。
数キロ走って山に入るところで多数の人の立ちション。
スタッフもいっぱいいるところで。どうも普通らしい。
確かにエイドでトイレあるかというきたら「No!」と返事が帰ってきたところもあった。
牛がいっぱい放牧されているからそのし尿の量を考えたら人間の分は微々たるものかな。
紙もそのまま捨ててある。牛が食うからいいんだろうね。
ライフベースでシャワーを浴びようとしたら、そのままゴミが捨ててあり周りは散らかっている。逆にゴミ箱がない。
感覚がだいぶ違うのが面白かったです。

カフェでも飲んだあとカウンターまで持っていってしまったが、
置きっぱなしが普通のようです。途中からは持っていかなくなりました。
支払いはマチマチののよう。レジまで行って支払うこともあり。

レースで走っていて応援はよくされました。
車からの応援はクラクションを鳴らす。最初は怒られたのかと思うくらい強いクラクション。夜中でも鳴らしてくる。
街なかのエイドでも鐘鳴らし、音楽を演奏してくれているところもあった。でも夜の11時過ぎているよな。
その音は12時過ぎても続いていました。

健忘録4:ゲン担ぎ、ジンクス
一部の人には気づかれているかもしれませんが、
私はゲン担ぎ、ジンクス類をやたらに気にしています。
今回トルデジアンでは、筑波山禅定でもらった、首から下げる御札を家を出る前から帰るまでずっとつけてました。
禅定で願掛けもやりましたからね。
他には、「悪い想像は現実にはおこらない」というのをいつも気にしています。
なので不安に思うときには想像できる限りのたくさんの悪い出来事を考えます。
だいたい悪いことは想像していなかった事が起きますからね。

健忘録5:睡魔との戦い
レース3日目くらいになると、明るいうちは大丈夫なのですが、暗くなるとすごく眠くなる、
夜も走らない訳には行かないのでこの対策が大変でした。

眠気対策に、
歌を唄う、大声で叫ぶ、トレランあるあるを作って唄う。
最初はこんなもの、そのうち道に難癖をつける。
一人ボケ一人ツッコミをやる。
だんだん思考力も下がってきます。

その中で何故かアントニオ猪木語録が出てきました。
「迷わず行けよ。行けばわかる」
「元気が一番、元気があれば何でもできる」
「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」
すごく好きなレスラーです。
なんだか元気がもらえました。

健忘録6:日本人ランナー
今回、日本人で走った人の中には、
トレイルの世界では有名人が何人かいました。
これに出る方はみなさんタタ者じゃないです。

健忘録7:シューズについて
今回使用した靴は「アルトラ ローンピーク3」
トレイルやっている人はよく知っていますが、
特徴はゼロドロップ(踵とつま先が同じ高さ)、足先にすごくゆとりがあり指が十分に動かせる。そんな靴です。
予備にINV-8の靴も持っていきましたが浮腫んだ後半の足には合わず結局一日使ってやめました。
足が日が経つことに浮腫んでいくので靴下を厚めのものから薄めのものに変えていく方法を取りました。
肉刺ができると大変だったようですが私は幸いにもできなかったのです。
ばななさんの教えの通りワセリンをたっぷりに塗り肉刺ができないような走り(歩き?)を心がける。
足のトラブルが起きなかった事が奇跡でした。

健忘録8:ウエアやギアについて
旅費もエントリー費もかかるのでその他の投資は抑えました。
ザック→サロモンあみで 22L(450g)のものミキティ割引で購入。
クランポン→必携装備なので好日山荘で。今年は雪降っても走れます。
エマージェンシーシート→ほんとに使うかもしれないので、SOLのもの2つ」購入。
ストック→DABADAちゃんと使えましたよ。高いやつ買う必要ないですね。
買い足したのはそのくらい。
ウエア新調までは投資できず。^^;
着替え含めて3着もっていきました。
ゴール時のパンツは、aissiaさんかもらったご子息のお下がり。

9月16日 最終日もう帰国です。

長いようであっという間に過ぎた日々。
最終日は一時間だけ観光して、残りはカフェでまったりしたり土産を物色したり、ホント観光もそのうちやりたいですね。







9月16日 セレモニー

翌日はセレモニー
バスはお昼に予約して今日中にミラノの予約している宿に行かなければならない予定にしていました。
お約束の記念撮影

小野さんと

ばななさんとやっと会えました。

鳥海さん流石です。
でもセレモニーはゆっくり進み、自分の番まで待てない。
ジャケットがもらえないかも心配しましたが、あとから郵送してくれるということでそのままバスに乗ってミラノに行きました。
宿についたらまだ日没前だったのでドォーモ周辺を散策。観光らしいことはじめて体験。
ミラノのピザ屋さんで

説明を追加

ドォーモ

ドォーモ周辺

宿はドミトリーを予約していたので相部屋です。
びっくりしたので男女相部屋だったこと。
若い女性がシャワーからシャツだけ着て出てきたのには驚いた。(^^)
相部屋だけど同室のメンバー誰もしゃべらない。都会はこんなものなのかね。

2018年12月4日火曜日

六日目~七日目 ステージ7


さあ、残るは50km 
Ollomont 9月14日 14:48 標高1396m スタートから123時間 290.3km
多分時間はあるかもしれないが(残り27時間)どのくらい時間がかかるかわからないので余裕をもってスタート。
Rif.Champillion  標高2433m
カウベルを鳴らして迎えてくれる。最後のステージだと思うと感慨深くなってくる。
明るいうちはまだそう思いながら進んでいた。

Col Champillion 標高2709m
ここから一気に下っていく。
こんな上り下りを何回繰り返したのだろう。よく体が動いたもんだと思う。
下りたらしばらく平坦な道が続く、ここで距離は一気に稼げるがかなり疲れた。
Saint Rhemy en-Bsses  9月14日 23:03 標高1519m スタートから131時間 311.6km
このあたり夜になったらまた眠くなったので寝れるところではちょくちょく仮眠していた。Merdeuxを過ぎ、最後のコルMalatraだけになった。
上りにかかる頃、Rif.Frassatiの明かりが見えてきた。
しかしコースのマーキングは違う方向に伸びている。あれは違うのかなと思い始める。
結局はずいぶん前から見える小屋のようで到着するまでにはかなりの時間を要した。
あと少しと思うから辛くなるのか、眠いのと寒いのでフラフラしながら登る。
ようやく到着したときはホント嬉しかった。

Rif.Frassati 9月15日 04:18 標高2537m スタートから136時間 320.3km
残り20kmになった!

ここは仮眠はできないけど、有料でカプチーノとケーキを注文した。
でも出発する気持ちにはなれずそのままテーブルで1時間ほど寝てしまった。
起きたとき日本人ランナーが追いついてきた。
しばらく話している内に眠いから一緒に喋りながらゆっくり行きませんか。と誘ってくれた。この提案にすぐ乗って残りの20kmはゆっくりピクニックの楽しいステージになりました。まずCol Malatraで朝日を見ようと言うことでそれに合わせて出発。
しかし最後の上りが結構辛く、コル手前で朝日をみる。

Col Malatra手前
レース最後の朝日

残りの工程はほんとにおしゃべりしながらゆっくりとこのレースを楽しみながら進む。

来たよー 最後のコル


Malatra 標高2325mも過ぎ、明るくなった山々をゆっくりと見る。
あの先の山なんだろうね。などと話しながら進む。

グランド・ジョラスとモンテビアンコだよとすれ違う登山者に教えてもらってはじめて気づく。^^;
ここは最後に絶景を見せてそれからゴールということなんですね。
明るくなってからスタートしてほんと良かったと思った。

Rif.Bertone 9月15日 11:25 標高1940m スタートから144時間 333.4km
最後のエイド、ゴールまであと僅か。
 
一緒に行動してきたメンバーを待っていた日本人参加者が迎えに来ていた。
ビールまでおごってもらって恐縮です。


ゴール間近でもゆっくりとあるきながらピクニック。
ちょうどお昼時だったので観光客が沢山いてみなさんが祝福してくれる。
結婚式もあったようで花嫁、花婿ともハイタッチして進む。
ついにゴール。
145時間 340km完走しました。
当の本人が完走できるとは思ってなかったので感慨深いです。
石岡TRCの仲間もゴールで待ってくれていたのでとても嬉しかった。


日本でも進捗状況をチェックしてくれていた仲間がたくさんいたのですぐにSNSに祝福を入れていただきこれにも大変ありがたいと思った。ほんと一人で走っているわけでもなく、仲間がいるから楽しくできるん恵まれた環境にいるんだと実感です。

その後は、宿に戻り、宿の主人からも祝福され、仮眠して、夕ごはんは仲間とお互いをたたえ夢のようなレースは終了となりました。